心理的安全

 

心理的安全性が高いとは、「些細な問題であっても提起される」「多く問題に対して自己主張がなされる」という観測可能なチームの状態を意味しています。もし、「心理的」に「安全」だとあなたが思っていたとしても、自己主張を誰もしない状態であれば、それは「心理的安全」の意味するところとは違うと考えられるべきなのでしょう。

この状態はどちらかといえば、「気後れしない」「生意気な」メンバー同士の闊達な議論の様子が目に浮かびます。これは、いわゆる「仲の良い」という関係よりもお互いに対するリスペクトがありながらも喧々諤々の議論の多いチーム像が浮かびます。

様々な概念がバズワードとして消費されがちな昨今、生産性の肝となる「心理的安全性」はどのように理解すれば良いのでしょうか。

下から上への情報の透明性
心理的安全性が低いチームにおいては、現場で発生した問題や課題はしばしば隠蔽され、意思決定者の耳目に入らなくなります。何が起きているかがどんどんと見えなくなります。

明確に嘘とは言えなくても、小さな嘘のようなものが組織中に蔓延するようになります。

そうすると、経営者はまるで五感を遮断して歩くような危険な状態になります。知っている道をただ走るならそれでも構いませんが、不確実性の時代において、これは自殺行為です。言い換えるなら、「心理的安全性」は、下から上への情報の透明性とも言えます。

ソフトウェアエンジニアリングのチームにおいて、このように「些細な問題」でも報告し合い、「本質的な課題に向き合う」という性質が強く要求されることから、生産性と心理的安全性の関係が導かれるのです。

これらの心理的安全性とソフトウェアエンジニアリングの関係性については、Google のRe:workプロジェクトあるいは、拙著である「エンジニアリング組織論への招待」を参照していただければと思います。

今回は、これらの知見を踏まえた上で、別の角度から「心理的安全性」を構成する要素を洗い出してみるという試みです。


心理的安全性ガイドライン(あるいは権威勾配に関する一考察) - Qiita